都電の歴史

都営荒川線の歴史
☆路面電車の不思議2

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都電荒川線は、
一日平均約4万5千人の人々に利用され、
三ノ輪橋~早稲田間(12.21キロ)を約50分で結ぶ路面電車です。

今回は、その歴史を振りかえります。

明治36年(1912年)、
路面電車の歴史ははじまります。

マイカーや乗合バスも存在しない時代。
馬車と比べても、速度で見劣りせず、少ない力で多くの乗客を運ぶ事ができる存在として、
路面電車は登場しました。

その開通当初こそ、民営でしたが、多くの人々に利用された結果、
早い段階で東京市によって買収され、現在まで続く都営にかわります。

そして、大正から昭和初期にかけ、路面電車は最初の黄金時代を迎えます。

その最盛期の昭和18年度(1943年)には、
一日平均約193万人の人々が利用し、
路線網は総延長200km以上まで発展しました。

当時、東京の人口は約700万人ですから、
約3人に1人が毎日利用していたことになります。
子供や老人の数なども考えると、
勤め人の過半数が路面電車を利用してる数字ですから、
その多さに驚きます。

 

都電乗車数グラフ

都電乗車数グラフ

 

その後、しばらくは活躍する路面電車なんですが、
次第に、大きな世代交代の波に飲み込まれます。

マイカーブームの到来です。

昭和30代に入り、高度経済成長期が始まると、車の数は急増。
ついには、都電が道路渋滞の発生源と呼ばれるようになってしまったのです。

そして、昭和47年(1974年)には、
都電荒川線を除く、全線が廃止されてしまいました。

なぜ、荒川線だけが残ったんでしょうか?

その理由はふたつあります。

  1.  偶然にも線路が専用軌道だったため、バスの代用がきかなかった。
  2.  沿線住民の強い存続要請があった。

僕は、この理由を知ったとき、不覚にも胸が熱くなりました。

都電は偶然と住民の愛情を燃料にして走っている。そう理解しました。

なんて素敵なんでしょうか。

 

そして、昭和49(1974)年、都電荒川線となり、現在に至っています。

 

駆け足で、短くまとめた歴史ですが、
今も昔も沿線で暮らす人々に、
都電が魅力的な存在だったことがよくわかりますね。

 

次回はついに都電車両の魅力に迫ります。

 

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安部邦治 (kuniharu abe)
webマガジン『tram』編集長。都電が大好きでNY留学中に制作した映画「Response」は、都電の映画。公益財団 川喜多記念映画文化財団で勤務の後、現在は某ストックフォト会社の海外アーカイブ担当。趣味は囲碁、登山、週末を利用したパワースポット巡り。
安部邦治 (kuniharu abe)

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